19位:窪塚洋介
「GTO」などのドラマに出演していた窪塚洋介は、2004年に神奈川の自宅マンションから9階から転落するという、ほとんど信じがたい事故から生還した。約9メートル離れたフェンスに当たった後、芝生の上に落ちたことで衝撃が和らいだとされている。約29メートルもの高さから落下した彼は、頭蓋骨を5か所骨折するなどの重傷を負った。回復までには約1年かかり、長期間のリハビリを経て、最終的に俳優として復帰した。
当時、なぜ飛び降りたのかについてはさまざまな噂が流れた。数メートル先に落ちていたことから、助走をつけて飛んだのではないかという憶測もあり、また本人が以前から「自由奔放な生き方」を語っていたことがさらに憶測に拍車をかけた。いずれも確認されたわけではないが、その破天荒で自由なイメージから、ファンの中には「あり得なくはない」と考える人もいたようだ。事故後、窪塚は複数の手術を受け、一時は車椅子生活を送ったが、現在は後遺症もなく普通の生活ができているようだ。オンラインドラマにも出演を続け、2024年にはオリジナルキャストが再集結した「GTOリバイバル」が大きな話題となった。
18位:ISSA
DA PUMPのリーダーであるISSAは、2008年のライブリハーサル中に宙返りの着地に失敗し、右大腿骨転子下骨折という大怪我を負った。治癒まで半年かかる重傷で、医師からは「これまで通りには動けなくなるかもしれない」とまで言われた。手術後はしばらくの間、足に体重をかけることすらできなかったが、ISSAは「絶対に治すと決めていた」と語り、強い意志でリハビリに取り組んだ。
回復への道のりは非常に険しく、意識を失いかけるほどの激痛が続いた。それでも入院中は前向きで、車椅子でちょっとした芸を披露するなど明るさを保っていたという。あまりにも回復が早かったため、足に入れたボルトは抜去が不可能となり、現在もそのまま残っている。完全復帰までには1年半を要し、後遺症は今も歩き方に影響している。それでも、デビュー20周年に発表された「U.S.A.」では驚異的なダンスを披露し、努力の結晶を見せつけた。 ISSAは「周りがどう言おうと、自分らしく生きることが大切」と語り、強い精神と揺るぎない自信の重要性をインタビューで強調した。
17位:安本彩花(恵比寿中学)
恵比寿中学のメンバーである安本彩花は、2020年に悪性リンパ腫と診断され、治療のため活動を休止した。約5か月後、寛解を発表し、2021年には芸能界に復帰した。診断以前から体調に違和感があり、リハーサル中に脇の腫れに気づいて受診したところ、すでにステージ3〜4で脾臓にまで転移していた。肌はひび割れ痛み、回復へ集中するため活動休止を決断した。
できるだけ早くステージに戻るために化学療法を選択したが、副作用は大きく、特に外見の変化が精神的に非常につらかったという。まつげや眉毛が抜け、「これが本当に自分なのか」と悩んだ。退院後は自宅療養を続けたが、見た目の変化に落ち込みもした。しかし、突然亡くなった元メンバー・松野莉奈の存在を思い出し、「自分も頑張らなければ」と奮起し、1日8時間のトレーニングで体力を取り戻した。2021年8月、以前の黒髪ぱっつんではなく、思い切った超ショートヘアでステージに復帰し、新たなスタートを象徴した。同年には写真集も発売し、「短い髪も含め、今の自分をそのまま写したい」と語り、ありのままを表現した作品となった。
16位:ビートたけし
「ツービート」として漫才ブームをけん引したベテラン芸人・ビートたけしは、1994年にバイク事故で重傷を負った。右側頭骨陥没骨折、脳挫傷、右頬骨の複雑骨折など深刻な怪我だった。事故が起きたのは交通量の多い巨人坂。たけし軍団のメンバーと過ごした後、原付で出発した際にカーブを曲がりきれず転倒、大量の出血があったとされる。119番通報を行ったのは、光GENJIの元メンバー・諸星和己だった。
たけしは東京医科大学病院に緊急搬送され、緊急手術を受け、約2か月半の治療を行った。退院後もしばらく仕事に戻れず、自宅療養は約半年続いた。事故の主因は、本人が乗れる状態ではなかったことだとされ、緩い坂だったにもかかわらずコントロールを失ったという。当時は誰かに会いに行く途中だった。 退院後の会見に姿を見せた際は顔が大きく腫れ、左右のバランスも崩れており、多くの視聴者が衝撃を受けた。顔面麻痺は長く続き、混乱や体調不良も残っていたが、伝統的な鍼治療が後遺症の軽減に大きく役立ったという。その後は見事な復活を遂げ、映画監督・タレントとして現在も第一線で活躍している。
15位:やす
お笑いコンビ「ずん」のボケ担当・やすは、2012年に番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」のロケ中、スキー事故で負傷した。トタン屋根に背中を強く打ちつけ、骨盤を骨折。診断は腰椎破裂骨折で、当初は全身が麻痺しほとんど動かせなかった。多くの人が「車椅子生活になるのでは」と心配したが、幸い後遺症もなく回復した。
激しい動きや負担を避けるよう指示されていたものの、やすは努力を重ね、自力で歩けるまでに回復して同年中に復帰した。現在もバラエティ番組で活躍し、当時の事故を笑い話にすることもある。この事故は、フジテレビのバラエティ番組での怪我の多さにも注目が集まるきっかけとなった。2022年、当時バラエティセンターの部長だった湊浩一がフジ・メディア・ホールディングスの役員に就任。彼は「面白くなければテレビじゃない」という姿勢で知られていたが、中居正広の問題をめぐる論争の後、2024年に役員職を退任した。これにより、番組制作の方針は大きく変わるのではと見られている。
14位:滝川英治
2.5次元舞台で活躍していた俳優・滝川英治は、2017年の舞台「弱虫ペダル」の撮影中、縁石に衝突して自転車から転倒し、脊髄損傷で部分麻痺となった。重傷にもかかわらず、2019年には芸能活動に復帰した。事故直後は人工呼吸器が必要で、手足は動かず、大きなショックを受けたという。
入院生活は約1年にわたり、2018年に退院した頃には左腕で電動車椅子を操作できるまでに回復した。リハビリ中には心が折れそうになることもあったが、同じ施設で頑張る少女の姿に励まされたという。2019年にはスカパーのドラマに出演し、俳優に復帰。しかし2020年に「俳優という役にしがみつきすぎていた」として引退を決意した。その後は絵本作家として創作活動を続け、2023年には自身のイラスト展も開催。新たな「舞台」で輝き続けている。
13位:梅宮辰夫
モデルの梅宮アンナの父であり、俳優・タレントとしても活躍した梅宮辰夫は、6度ものがんと闘いながら晩年まで仕事を続けた。1974年、精巣腫瘍と診断され「余命3か月」と宣告される。すでに肺に転移していたが化学療法を受け、一般的には髪が抜けるはずの副作用が出ず、医師も驚いたという。
寛解後は酒を断ち、早起きを始め、料理に強い関心を持つようになり、のちにシェフとして働くようにまでなった。2016年には十二指腸乳頭部がんと診断され手術を受け、回復後テレビに復帰。2018年には著しいやせが話題となったが、それは同年に前立腺がんと診断されたためだった。2019年には尿管がんが見つかり腎臓を一つ摘出し、週3回の透析が必要となった。 それでも闘病を続け、最終的に2019年、慢性腎不全で亡くなった。晩年は相模湾を見渡す別荘で過ごし、生と死について深く考えていたとされる。アンナは、その姿を見て「人生の意味について深く考えるようになった」と語っている。
12位:千原ジュニア
千原兄弟の弟・千原ジュニアは、2022年に大腿骨頭壊死症の手術を受け、人工関節を埋め込んだ。驚くべきことに、わずか8日後には杖をつきながら仕事に復帰した。異変を感じたのは2021年頃で、股関節の痛みが続き、X線では問題がなかったため超音波治療を受けたが改善しなかった。MRIで大腿骨の壊死が見つかった。
難病指定のこの病気は骨が壊死するため、痛みは強く、毎時間目が覚めて眠れないほどだった。放置すると歩けなくなる可能性が高く、手術を選択した。2025年時点では痛みも後遺症もなく生活しているという。手術前は車の乗り降りも両腕で足を持ち上げていたが、現在は自由に動けるようになり、リハビリによってバイクにも乗れるようになった。バランス感覚が少し変わったため今も杖を持ち歩いているが、短距離なら使う必要はないそうだ。
11位:藤岡弘
初代仮面ライダーを演じた俳優・藤岡弘、は、1971年の撮影中にバイク事故で大腿骨の粉砕骨折という重傷を負った。当時としては珍しい手術を受け、1年後にはシリーズに復帰した。藤岡は仮面ライダー撮影と並行して多くの仕事を抱えており、下り坂でバイクの操作を誤って転倒した。医師からは「もう仕事はできない」と宣告されたが、別の病院への転院を強く希望し、ベトナム戦争後に確立された手術技術を受けることができた。
手術後は看護師の助けを借りながら、夜遅くまでリハビリに励んだ。1年の努力を経て第53話で復帰を果たした。最初の病院では「復帰は不可能」とされ、転院を求めても拒否され、診療情報すら渡されなかった。「もう治療できることはない」と言われてようやく転院できたという。骨が筋肉を突き破るほどの重傷で、代役案もあったが、制作側は藤岡の完全交代ではなく2号ライダーを登場させる決断をした。歩けなくなってもおかしくない怪我だったが、「仮面ライダーに戻る」という強い意志が奇跡の回復を導いたと言われている。
10位:夢月風雅
かつてアイドルグループ3B juniorに所属していた舞台女優・夢月風雅は、2016年、舞台「ピーターパン」の稽古中の落下事故で左眼窩底吹き抜け骨折の重傷を負った。ワイヤーアクションの練習中、本来は地上約1メートルで止まるはずが、スタッフのミスで約3メートルの高さから床まで落下した。顔面を強打し、救急搬送され入院した。
その後、大阪の病院から東京の病院に転院して手術を受け、約2週間で退院。2017年には舞台「レ・ミゼラブル」でエポニーヌ役として復帰した。2022年には舞台女優ランキングで1位となり、その復活ぶりが際立った。人気作「SPY×FAMILY」の舞台版ではヨル・フォージャー役にも抜擢されている。努力家として知られる彼女は「今は何より舞台と演技が好き」と語っており、今後の活躍にも期待が高まっている。
9位:西城秀樹
「新御三家」の一人として知られる歌手・西城秀樹は、2001年に脳梗塞を発症し、その後も脳出血など脳に関する発作を計7回経験した。それでも後遺症を抱えながら、2018年に亡くなる直前までコンサート活動を続けた。2001年の発作は後遺症もなく回復したが、2003年の2度目の発作では言葉がうまく出なくなる障害が残った。退院後は、使い捨て箸を奥歯に挟んで発声練習をしたり、舌のトレーニングを行うなどリハビリに励み、見事に復帰を果たした。
2011年には6度目の発作を起こし、足がうまく動かなくなったこともあったが、繰り返しリハビリを続け、2012年には80本ものコンサートをこなせるほどに回復した。2014年には神経に異常をきたす難病・多系統萎縮症と診断された。歩行が困難になる中でも家族の支えを受けながらリハビリに取り組み、2015年頃には週5回ジムに通うほど意欲的に頑張った。そして2018年4月、足利でのコンサートからわずか2週間後、自宅で倒れ、急性心不全で亡くなった。葬儀には1万人ものファンが訪れ、「ヒデキ!」という声が会場に響いた。今もなお追悼イベントが定期的に開催され、ファンが訪れ続けている。
8位:市川染五郎
松本幸四郎を父に、松たか子を伯母に持つ歌舞伎俳優・八代目市川染五郎(藤間斎)は、2012年、父の古希記念公演の舞台上で奈落に転落し、大きな怪我を負った。右側頭部や右半身の打撲、右手の骨折などの重傷を負い、事故当時は頭から血を流していたといい、父は「全てが血に染まったように見えた。最悪の事態を覚悟した」と振り返っている。幸い致命傷は避けられ、51日後には記者会見を開き無事を報告した。
事故の原因は、本来上がっているはずの舞台装置が上がっておらず、染五郎がその隙間に気づかず転落したためとされている。当時の染五郎は重要な役に抜擢されており、昼は稽古、夜は別の舞台本番という極めて過酷なスケジュールをこなしていた。スタッフからも「その後にもう一つ舞台があるなんて信じられないほどの忙しさだった」と驚きの声が出ていた。重傷を負いながらも、事故の4ヶ月後にはテレビドラマの撮影に復帰。翌年には歌舞伎の舞台にも戻り、2025年現在も「歌舞伎界のプリンス」として活躍を続けている。
7位:レイザーラモンHG
お笑い芸人であり元プロレスラーでもあるレイザーラモンHGは、2009年の試合で左かかとを大怪我し、一時は脚の切断すら懸念されたほど深刻な状態だった。かかとの皮膚の一部が壊死したため、2度の植皮手術を受けた。退院までに8ヶ月を要し、その間仕事ができず、収入は月7,000円まで落ち込んだ。当時は妻である住谷杏奈の支えを受けながら生活していた。
コロナ禍を経ても怪我の治りは遅く、大手術の可能性も残っていたが、継続的な治療と投薬で徐々に回復。保護カバーをつければ泳げるほどに改善した。2025年現在は、以前のド派手な芸風からは控えめなスタイルでテレビ出演を続けており、モデルとしても活動している。全盛期よりも柔らかい印象になったものの、健康的に過ごしているようだ。
6位:安田章大
SUPER EIGHT のメインボーカルを務める安田章大は、2017年に脳腫瘍の一種である髄膜腫の摘出手術を受けた。手術は成功し、めまいなどの後遺症は残るものの、すでにステージに復帰している。異変に気づき精密検査を受けたところ、8センチにも及ぶ腫瘍が見つかった。良性だったものの脳や血管を圧迫していたため、摘出を決断。12時間に及ぶ大手術となった。当時は手術を公表せず、1ヶ月後には仕事に戻っていた。
手術後は光の刺激に敏感になり、発作を防ぐために明るい環境を避け、サングラスが欠かせなくなった。めまいが原因で倒れ、背中や腰を骨折する怪我も負い、完治まで3ヶ月を要した。手術から約1年半後、ついに自身の状態を公表し、無理に隠すことをやめたという。大好きなスキューバダイビングを休まざるを得なかったことが辛かったと話すが、生活スタイルを調整することで徐々に安定を取り戻し、再び前に進むことができた。
5位:スギちゃん
勢いのあるワイルドキャラで人気を博したお笑い芸人・スギちゃんは、2012年の特番収録中、10メートルの高さからプールに飛び込み、第12胸椎の破裂骨折という重傷を負った。完治には約3ヶ月を要した。千葉国際総合水泳場でインストラクターの指導のもと撮影は行われていたが、飛び込んだ後、激しい腰痛に襲われ自力でプールから上がれなかった。約1ヶ月の入院後、3ヶ月の治療期間が必要とされた。
後遺症を心配する声もあったが、神経の損傷はなく無事回復した。この事故を受け、ネット上では「危険すぎる」「なぜこんな無茶な企画を」と批判が噴出した。スギちゃん本人は「体を張った仕事がしたかった」と語っていた。当時はネタ切れや芸人としての将来に不安を抱えていたという噂もあった。事故後は全国放送への出演は減ったものの、現在もテレビやSNSで活動を続け、イベント出演などで全国を巡っている。地元・愛知の番組にも出演し、月収は100万円ほどと言われている。
4位:つんく
ミュージシャンであり、エンターテインメントプロデューサーでもあるつんく♂は、2014年に咽頭がんと診断され、治療を開始した。抗がん剤治療で一度は寛解したものの、翌月に再発。命を優先するため、声帯を切除する手術を受ける決断をした。小さな娘の成長を見届けたいという思いが、その選択を後押しした。
最初は筆談でコミュニケーションを取っており、当時3歳の娘もひらがなを覚えて手紙を交わせるようになったという。手術後はリハビリを続け、食道発声で話す方法を習得した。健康維持のため食生活にも気を遣い、専門家のもとで定期的にケアを受けている。2025年現在、元の声は失ったものの、新しい形で音楽表現を行っている。音楽活動に限らず、舞台や映画のプロデュースにも力を入れ、「音楽だけでは伝えきれない感動を届けたい」と語る。声を失っても、伝える手段は無限にあるとして、今も精力的に活動している。
3位:斎藤司
お笑いコンビ「トレンディエンジェル」の斎藤司は、2020年、フジテレビの「でんじろうTHE実験」の収録中に脊椎の圧迫骨折と右手首の捻挫を負った。全治まで約3ヶ月と診断された。企画は「椅子の下にエアバッグを仕込んだら人は持ち上がるのか」という実験で、斎藤は1メートル以上吹き上げられ、右手をついて着地した際に腰を強打した。入院はせず、コルセットを着け自宅で療養した。
この事故には、
「フジテレビは重大事故を起こしても反省しない」
「でんじろうの番組は危険な実験が多すぎて、いつかこうなると思っていた」
といった批判がネット上で相次いだ。
初期は寝返りも打てず、食事も困難で、薬を飲みながらほぼ寝たきりで過ごした。退院後、東京の病院で精密検査を受け、神経に異常がないことが確認された。1ヶ月後にはInstagramで「踊れるくらい回復しました」と報告し、リハビリとしてダンスにも取り組んでいる。ファンからは「回復してよかった!」と温かいコメントが寄せられた。
2位:堀ちえみ
「花の82年組」の一人として知られるアイドル歌手の堀ちえみは、2019年に舌がんステージ4と診断され、舌の60%を切除する再建手術を受けた。2025年現在ではコンサートが開けるまでに回復している。最初に舌のしこりに気づいた時は口内炎だと思いビタミン剤で様子を見ていたが、初期検査では異常が発見されず、その後痛みが悪化して眠れないほどになった。精密検査の結果、すでにステージ4に進行していることが判明した。
術後はうまく話すことも食べることもできず、落ち込む日々が続いた。しかし徐々に気持ちを切り替え、日常生活に戻ることを目標にリハビリに励むようになった。発声の方法も手術前とは変わり、慣れるまで時間がかかったが、掃除や料理をしながら地道に発声練習を続けた。ネガティブにならないよう努力し、芸能界復帰を目指して前向きに行動したという。家族の支えもありリハビリを続け、ついには歌えるまでに回復。2024年2月には舌がんの「完治」を公表し、同年5月には新曲「FUWARI」をリリース、本格的に歌手活動を再開した。
1位:渡辺謙
「ラストサムライ」で世界的に知られる俳優・渡辺謙は、1989年に急性骨髄性白血病と診断された。主演作となる予定だった映画「天と地と」の撮影中に倒れ、緊急搬送された。命の危険があったが、治療を経て一度は仕事に復帰した。渡辺は、治療の苦しさから「もう駄目だ」と思う瞬間もあったと語っているが、希望を失わず回復し、一時退院も果たした。
その後1年間、俳優業を離れて抗がん剤治療を受けた。生存率50%と言われる中で病を克服し、1990年の復帰会見では痩せ細り、抗がん剤の影響で髪も抜け落ちていた。1993年にはNHKドラマ『炎立つ』で舞台復帰したが、1994年に白血病が再発し、さらにC型肝炎も併発。治療は極めて困難だったが、再び化学療法を乗り越え、1995年に2度目の復帰を果たした。
2016年には胃がんを発症し、手術を受けて無事回復。その頃、不倫報道など私生活での問題も発生した。妻の南果歩も乳がん闘病中で、2018年に離婚に至った。
2023年に元パートナーと再婚し、現在は病気の兆候もなく、公私ともに精力的に活動している。